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八雲を木彫り熊の名産地へと導いた、「熊狩りの殿様」『徳川 義親(とくがわ よしちか)』

2015年1月号 AIRDO機内誌「rapora」掲載
※情報は2014年12月1日時点の内容です

尾張徳川家によって開かれた道南のまち・八雲(やくも)

素朴な表情が味わい深い木彫り熊。かつてどの家庭でも見掛けられた人気の北海道土産だ。この熊と尾張徳川家には深いつながりがある。木彫り熊が最初に作られたのは北海道の八雲町。

まちの開拓は、尾張徳川家17代目当主・徳川慶勝が、国から約150万坪を払い下げられ、徳川家開墾試験場(徳川農場)を開いた事に始まる。本州とのつながりや技術を持つ農場の存在は、地域にとって大きな支えとなった。

徳川義親は、松平春嶽の五男に生まれ、徳川家に養子に入り、19代当主となった人物。八雲を度々訪れては飾らない人柄で周囲を魅了し、自ら「徳川さん」と呼ばれる事を好んだ。毎年春先には熊狩りに出掛け、「熊狩りの殿様」の愛称でも親しまれたという。

写真:「 徳川さん」の胸像(八雲町公民館)

木彫り熊については、次のように語っている。「ぼくはスイスで買った熊の彫刻を持って行き、農民に作らせたのである。大正十二年にはじめて十センチほどの熊が一つできた。できると一個一円で買い上げる約束をすると、一、二年で物置いっぱいの熊ができた。金額で八千円にもなり、これを札幌と函館に出荷すると、たちまち売りきれた。ここから熊の木彫は八雲以外にもひろがり、北海道の土産となった」(『徳川義親自伝 最後の殿様』より)。

写真:八雲の木彫り熊の原型となったスイス製の熊(右)と北海道第1号の木彫り熊(八雲産業(株)管理)

木彫り熊の文化を伝える資料館もオープン

スイスから持ち帰られた木彫り熊は、ヨーロッパがルーツの「ペザントアート(農民美術)」と呼ばれる品で、これを手本に義親が冬の間の副業として農民に勧めると、瞬く間に広まった。講習会や品評会によって品質も向上し、第二次世界大戦までの八雲は、木彫り熊の生産地として一時代を築く。

昨年八雲町に、地元産の木彫り熊や、八雲と徳川家にまつわる品々を集めた「木彫り熊資料館」がオープンした。八雲産は細かい毛並みを削り出す「毛彫り」と、カットした面で熊を表現する「面彫り」が特徴だ。さらに熊を人に見立てたような表情やしぐさもユーモラスで愛らしい。木彫り熊の持つ優しさは、農民が作る喜びとゆとりをもたらしてくれた「徳川さん」へ、感謝の思いを込めたからかもしれない。

写真:八雲町木彫り熊資料館展示室(八雲町末広町154 TEL:0137・63・3131 料金:入館料無料 開館時間:9:00〜16:30 休日:月曜日、祝日、2015年1/1(祝)〜5(月))

PROFILE

徳川 義親(とくがわ・よしちか)

1886(明治19)年、福井藩主・松平慶永(春嶽)の五男として生まれ、1908年に尾張徳川家の養子となり徳川義親と改名。侯爵徳川家の19代当主となる。学習院高等科を卒業後は、東京帝国大学で国史や生物学を学び、貴族院議員も務める。「国民の幸福を図る願望があれば、主義主張にこだわる必要はない」を常とした。八雲では1912(明治45)年に土地の一部を移住民75戸に無償で与え、教育にも寄与した。1976年逝去。

EPISODE

自然や美術を慈しみ「徳川美術館」も創設

八雲町に木彫り熊を誕生させた徳川義親は、生涯を通じ「最後の殿様」として多くの業績を成し遂げた。その一つが時代と共に失われつつあった歴史的に貴重な資料の研究および保存。江戸幕府初代将軍・徳川家康の遺品をはじめ、国宝「源氏物語絵巻」など、徳川家に伝わる美術品のために、徳川美術館を創設した。また山林の保護にも努め、「林政史研究所」も設立した。

編集:(株)KADOKAWA 文:山平有紀  参考文献:『徳川義親自伝 最後の殿様』(著:徳川義親)、
『伝統工芸の創生--北海道八雲町の熊彫と徳川義親』(著:大石勇 発行:吉川弘文館)ほか

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2015年1月号 AIRDO機内誌「rapora」掲載
※情報は2014年12月1日時点の内容です

raporaはAIRDOが発行する機内誌です。
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