cat_title_jinbutsuden.jpg

鰊漁、酒造り、海運業と、商才で港町を華やかに彩った実業家 『本間 泰蔵(ほんま たいぞう)』

2015年4月号 AIRDO機内誌「rapora」掲載
※情報は2015年3月1日時点の内容です

鰊(にしん)の恵みに沸き立つ港町で呉服の商人から一代で実業家へ

北海道に鰊の豊漁が生んだ豪商の物語が数多くある中、極上の漁場として200年以上の歴史を持つ増毛(ましけ)にも、己の運と商才で、一代で財を築いた実業家がいた。佐渡島出身の本間泰蔵は、1875(明治8)年、増毛に一軒の商店を開く。初めは小樽の呉服商の下で得た商いのコツを生かし、雑貨や呉服を扱っていたが、翌年漁場に関する規制が廃止され、誰でも漁ができるようになると聞き付けると、漁家5名を保証人に資本金を確保。自ら網元となって鰊業に乗り出す。当時鰊は水揚げするとすぐに浜で身欠き鰊、カズノコ、白子、鰊粕などに加工して本州へ運ぶ、「上りもの」と呼ばれる貴重な交易品。逆に「下りもの」は焼酎、塩、菓子、日用品、呉服などで、泰蔵はその双方に着目し、商いに反映していく。

泰蔵の成功の秘訣は、絶妙なタイミングで商機を掴んだ事にあった。醸造業は酒税が変わり、自由に造れた自家用酒が許可制となった82年に申請している。87年には船を購入し、海運業に着手。不動産業も始め、1900年に自治制が施行されると、第1回町議会議員選挙で2級議員に当選した。さらに1916(大正5)年に木炭による火力発電で電気が普及し始めると、電気会社の社長に就任する。

写真左:公開されている「旧商家丸一本間家」の外観(開館:4月下旬~11月上旬 10:00~17:00 休日:木曜日 ※祝日の場合は前日。7・8月は無休 料金:一般・大学生¥400ほか) 写真中央:本間家が収集した美術品。仙田菱畝(せんだ りょうほ)の作品も展示 写真右:泰蔵の名に由来した、復刻酒粕焼酎「初代泰蔵」

泰蔵が過ごした日々を伝える「旧商家丸一本間家」
「國稀(くにまれ)酒造」

泰蔵が愛した増毛には、1881年から約20年かけて増改築を施された店舗兼住宅が今もその姿を留めている。国指定重要文化財「旧商家丸一本間家」(増毛町弁天町1)は、当時の間取りに、1998年に増毛町によって修繕・復元が行われ、明治期の呉服店も再現。現在は見学もできる。

もう一つ、泰蔵の思いを今に伝えるのが、暑寒別岳の伏流水を芳醇な美酒に醸す「國稀酒造」。泰蔵は早くから自家用酒造りを始め、豊漁による好景気もあって、酒の需要は増え続けた。

02(明治35)年には現在地(増毛町稲葉町1-17)に酒蔵を建造し、泰蔵の死後に名称を國稀酒造と改めた。泰蔵は、27(昭和2)年にこの世を去るが、その熱い生きざまは、増毛にうまい酒と共に染みわたり、今も語り継がれている。

PROFILE

本間 泰蔵(ほんま たいぞう)

1849(嘉永2)年、新潟の佐渡(現新潟県佐渡市)の仕立屋に生まれる。行商で訪れた増毛で雑貨兼呉服店を開業。その後鰊漁網元、醸造業、海運業と商いを広め、議員にも当選。長男の婚礼は、松前藩の家老・下国家の娘を社有の船で七重浜に迎えに行く、盛大な海路の輿入れだった。1927年に逝去。葬儀は弔問客が駅前通りを埋め尽くす程だったという。日本点字図書館の創設者・本間一夫は孫に当たる。

EPISODE

増毛町民の思いが込められた忠魂碑の揮毫(きごう)と「國稀」の由来

増毛町には、日露戦争で多くの町民が所属する部隊が多数の戦死者を出す悲劇があった。戦後、慰霊碑を建てる際、発起人となった泰蔵は陸軍大将乃木希典(のぎ まれすけ)を訪ね、忠魂碑の揮毫を願い出る。その後、人柄に感銘を受けた泰蔵は、自社の上級酒「國の誉」を「國稀」と改名。「希」ではなく「稀」としたのは、そのままでは畏れ多く、また、「国に稀(まれ)な良い酒」の意味を添えたからという。

編集:(株)KADOKAWA 文:山平有紀
参考文献:『増毛町概史』(北海道増毛町役場)、『旧商家丸一本間家復元工事報告書』ほか

1504cover.jpg

2015年4月号 AIRDO機内誌「rapora」掲載
※情報は2015年3月1日時点の内容です

raporaはAIRDOが発行する機内誌です。
最新号はぜひ機内でお楽しみください。

TOPへ