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北海道・千島の植物の魅力を世界に伝えた植物学者 『宮部 金吾(みやべ きんご)』

2015年5月号 AIRDO機内誌「rapora」掲載
※情報は2015年4月1日時点の内容です

松浦武四郎によって芽生えた北方植物への憧れ

風格のある赤れんが庁舎の西側に、1886(明治19)年創設された植物園がある。敷地は約13万3000㎡。ハルニレの木は見上げる程高く、樹木園、草本分科園、温室では観賞しながら学びも体験できる。札幌農学校の歴史を受け継ぐここ「北海道大学植物園」を設計したのは、植物学者の宮部金吾。

江戸生まれの金吾が北海道を目指したきっかけは、幼いころ見た探検家・松浦武四郎が描いた蝦夷地の植物画だったという。当時金吾の父と松浦は親しく、金吾を養子にという話もあった。

「Boys, be Ambitious!」の精神が息づく札幌農学校に入学した金吾は、後に宗教家となった内村鑑三と4年間寮の相部屋で過ごす。気難しいといわれた鑑三も穏やかな人柄の金吾には心を開き、植物園に建つ「宮部金吾記念館」には、2人の友情が伺える書簡の一部が今も残されている。

1884(明治17)年、植物園設立を命じられた金吾は、その夏、札幌から道東へ植物採集の旅に出る。徒歩と馬で北の大地をめぐるこのフィールドワークは、行く先々で金吾にさまざまな収穫をもたらした。野草を保存食や医薬、衣服などに使う知恵や、時に心のより所とする人と植物のつながり...。後年金吾は若き日のこの旅を「私の北海道植物研究にとつても亦一生にとつても思出深い旅行は明治十七年の夏期の旅である(『宮部金吾』より)」と回想している。また現在植物園のシンボルマークとなっているクロビイタヤの学名「アーサー・ミヤベイ」の命名は、この旅での発見がきっかけとなった。

植物園を静かに見守る「宮部金吾記念館」

春の使者、桜前線の終着を告げる可憐(かれん)な花、「チシマザクラ」も金吾が名付け親だ。金吾も訪れた根室市にある清隆寺(根室市松本町2-2)は、チシマザクラの名所として知られている。

写真左:宮部金吾記念館(札幌市中央区北3条西8丁目北海道大学植物園内) ※写真は同園提供 写真中央:チシマザクラなどを紹介する『北海道主要樹木図譜』(北海道立文書館所蔵) 写真右:根室半島を歩くフットパス「おちいし岬パス」で観察できるサカイツツジの花

1899(明治32)年に植物園初代園長となった金吾は、1927(昭和2)年まで園長を務めた。園内には金吾が指導していた札幌農学校動植物学講堂の一部が「宮部金吾記念館」として移設され、生涯金吾が慈しんだ風景の中に、今も静かにたたずんでいる。

PROFILE

宮部 金吾(みやべ きんご)

1860(万延1)年、江戸下谷和泉橋通御徒町(現東京都台東区下谷)生まれ。1877(明治10)年札幌農学校へ入学。農学校初の留学生としてアメリカ・ハーバード大学へ留学。1916(大正5)年日本植物病理学会を創設。1927(昭和2)年北海道帝国大学(現北海道大学)の名誉教授に就任、1946年文化勲章受章。札幌市名誉市民第一号。1951年逝去。生涯禁酒禁煙を守り、聖書の一節「愛は寛容にして慈悲あり」を大切にした。

EPISODE

根室半島の落石岬に咲く、希少な「サカイツツジ」

根室市には、5月下旬から見ごろを迎える、国内ではここだけの「サカイツツジ」の群生がある。この花は南限が北緯50度付近とされていたが、植物学者・舘脇操博士との調査によって、初めて根室にも自生することが確認された。現在は、国の天然記念物に指定されている。このように金吾は、入念な調査や研究と優れた英語力で、北方植物の魅力を世界へ発信した。

編集:(株)KADOKAWA 文:山平有紀
参考文献:『北海道主要樹木図譜』(著:宮部金吾・工藤祐舜、図:須崎忠助)、『宮部金吾』(発行:宮部金吾博士記念出版刊行会)ほか

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2015年5月号 AIRDO機内誌「rapora」掲載
※情報は2015年4月1日時点の内容です

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