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明治期の北海道を旅し、旅行記を出版したイギリス人旅行作家 『イザベラ・バード』

2015年6月号 AIRDO機内誌「rapora」掲載
※情報は2015年5月1日時点の内容です

横浜から北海道へ 約2240㎞を旅した女性

浮世絵の美しさがヨーロッパでもてはやされていた19世紀後半、はるかイギリスから日本を訪れ、北海道でアイヌの人々の集落に滞在した女性がいた。旅行作家のイザベラ・バードだ。

幼いころから病弱だったイザベラは、23歳の時に転地療養で出掛けた海外旅行の体験を帰国後に旅行記として出版。その後もオーストラリアやハワイなどの旅行記がイギリスで評判となり、1878(明治11)年に初めて日本を訪れた時には、女性旅行作家として注目されていた。

横浜に船で到着したイザベラは、東京のイギリス公使館や外国人居留地を訪れて、北方への旅の準備に取り掛かる。当時の日本はすでに西洋化が進み、イギリスから輸入された蒸気機関車も走っていた。横浜でイザベラは、通訳に18歳の「イトウ」、後に"通弁の元勲(げんくん)"と評される「伊藤鶴吉」を雇っている。

東京を出発したイザベラは、馬や人力車を利用して日光(栃木県)から新潟、山形へ移動し、さらに青森から船で14時間かけて函館に渡る。初めて北海道の気候に触れたイザベラは、梅雨とは異なる心地よい空気と大自然に英気を養われ、領事の助けで得た特別な通行許可証を手に室蘭、白老、苫小牧を経由して平取村(現・平取(びらとり)町)へと向かう。

写真:大正ごろの平取村(『開道五十年記念北海道博覧会記念 日高写真帖』より)

イザベラの心を震わせた集落での温かいもてなし

アイヌの集落のある平取村にたどり着いたイザベラを、村の首長であるペンリウクや村人は、家族のように温かく受け入れる。イザベラはアイヌの人々の表情に西洋的なものを感じ、また、太陽や月、水、自然を敬い、熊送りの祭事など、儀式や伝統を重んじる人々に慈しみを抱き、「生涯忘れたくない」との印象を書き記した。

イギリスに帰国したイザベラは、日本での体験をつづった『Unbeaten Tracks in Japan』を出版。風景や文化、衣食住など、当時のありのままを女性らしい感性で執筆したこの本は、日本の魅力を世界に伝え、イギリス人の日本への関心を一層高めた。1973(昭和48)年には『日本奥地紀行』として日本語訳も出版され、現在も貴重な資料として読み継がれている。

写真:イザベラが小舟で渡った渡船場跡に当たる、紫雲古津川向(しうんこつかわむかい)大橋のたもとに立つ道の解説板

PROFILE

イザベラ・バード

1831年、イギリス生まれ。父は牧師。1856(安政3)年、初めて旅行記を出版。自身の体調不良と両親と最愛の妹の相次ぐ死を乗り越え、アメリカやハワイ、マレーシアなど日本以外にも旅行記を出版。1881(明治14)年、妹の主治医と結婚するが、その夫も5年後に急逝。晩年は女性で初めて英国地理学会特別会員に選ばれ、また功績が認められ、ヴィクトリア女王への謁見(えっけん)を許された。1904(明治37)年に逝去。

EPISODE

イザベラの軌跡をたどる沙流川流域のフットパス

平取町には、イザベラが約140年前に通った沙流川流域の道を再現したフットパスコースがあり、日高町富川から平取町本町にある義経神社までの約15kmに、合計28カ所の案内標識を設置している。義経神社は、イザベラが平取村に滞在中、病人を看護したお礼に案内されたと著書に記していて、1799(寛政11)年に近藤重蔵が寄進したとされる義経の像が現存している。

写真:フットパスのゴール地点にある義経神社(平取町本町119-1)

編集:(株)KADOKAWA 文:山平有紀
参考文献:『日本奥地紀行』(著:イザベラ・バード 訳:高梨健吉)、『イザベラ・バードの日本紀行』(著:イザベラ・バード 訳:時岡敬子)、「イザベラ・バードの道を辿る会」資料ほか

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2015年6月号 AIRDO機内誌「rapora」掲載
※情報は2015年5月1日時点の内容です

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