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阿寒の自然に限りない愛情を注いだ、前田一歩園(いっぽえん)三代目園主 『前田 光子(まえだ みつこ)』

2015年8月号 AIRDO機内誌「rapora」掲載
※情報は2015年7月1日時点の内容です

前田家に見守られて発展した名湯・阿寒湖(あかんこ)温泉郷

北海道の東部にある阿寒湖温泉は、国の特別天然記念物、神秘的な「マリモ」で知られる阿寒湖の名湯。松浦武四郎も旅の疲れを癒やしたと伝えられる温泉郷は、湖の周囲約3800haを所有する前田家の支援によって発展し、現在も前田一歩園財団の手厚い保護により、美しい姿をとどめている。

財団の前身、前田一歩園の初代園主、前田正名(まさな)は薩摩藩出身。明治政府で農商務次官を務めた後に下野し、私財を投じて日本各地を行脚しながら伝統産業の振興に尽くした人物。釧路にも製紙会社を設立し、1906(明治39)年に国から阿寒湖一帯の森林や土地の払い下げを受けると「阿寒前田一歩園」を創設。牧場経営などを行うが、「この山は(木を)切る山ではなく、観る山である」との思いから、自然保護に力を尽くした。「前田一歩園」の¨一歩¨は、「物事万事に一歩が大切」との理念からきている。この思いは38(昭和13)年に二代目園主となった前田正次(しょうじ)にも受け継がれ、正次もまた、地元の人々のために前田家所有の木材を安価で提供して旅館の建設に役立てた。そして三代目園主を継ぎ、後世のためにと財団を設立し、アイヌの人々からは「阿寒のハポ(母)」と慕われたのが正次の妻、元タカラジェンヌの光子だった。

写真左: 雄大な自然美が残る前田一歩園財団所有の森林と阿寒湖(釧路市阿寒町阿寒湖畔)
写真右:光子が暮らしていた住居を保存した「前田記念館」(釧路市阿寒町阿寒湖温泉1丁目5-2)

タカラジェンヌから「阿寒のハポ」へ

現在、財団の理事長を務める前田三郎氏に話を伺った。三郎氏にとって光子は伯母に当たる。「真面目な女性で、カリスマ性があり、当時4、5人いた一歩園の従業員に指導力を発揮していました。地元の人と麻雀を楽しむ気さくな面もあり、自分がいい役を作っている最中に誰かが安い手で上がったりすると機嫌が悪いんです。彼女自身の美学があったのでしょう」。阿寒のためには、いつも真っ先に行動する女性だった。「アイヌの人々の素朴な面をとても愛して、芸術的な才能を民芸品作りに生かして生活できるように支援したのも光子さんです。また昔、阿寒湖でマリモが減少した時、マリモを守るために地域の人々と協力したという話もあります」。今でも光子が注いだ愛情は、阿寒の風景を輝かせている。

写真:現在もアイヌの伝統的な文化を体験できる観光名所「阿寒湖アイヌコタン」

PROFILE

前田 光子(まえだ みつこ)

1912(明治45)年、栃木県日光市鬼怒川生まれ。27(昭和2)年宝塚少女歌劇団(現・宝塚音楽学校)に入団。36(昭和11)年に24歳で25歳年上の前田正次と結婚。43(昭和18)年初めて阿寒を訪れる。夫の死後前田一歩園三代目園主を継ぎ、「前田家がなければ、今の阿寒はなかった」といわれるほど、自然の保護、温泉開発、アイヌのコタン(集落)の発展、地元の子供の教育など、阿寒の全てに限りない愛情を注いだ。83(昭和58)年逝去。同年北海道開発功労賞受賞。

EPISODE

¨自然保護¨ではなく、人間が恩恵を受けている

阿寒の自然を心から愛した光子が残した言葉がある。「何時も思うことは、自然保護という人間の思い上がりです。自然を保護するのではなく、大きく自然の保護を受けているのが真の自然保護であり、私たちの生命の糧です」。観光を発展させつつ、環境の在り方をいつも模索していたという光子。彼女の言葉からは、自然と真摯に向き合っていた思いが伝わってくる。

編集:(株)KADOKAWA 文:山平有紀 取材協力:(一財)前田一歩園財団
参考文献:『私のなかの歴史①〜⑧前田一歩園園主 前田光子さん』(北海道新聞連載)ほか

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2015年8月号 AIRDO機内誌「rapora」掲載
※情報は2015年7月1日時点の内容です

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