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日本初の本格的な地質図「日本蝦夷地質要略之図」を完成させた 『ベンジャミン・スミス・ライマン』

2015年10月号 AIRDO機内誌「rapora」掲載
※情報は2015年9月1日時点の内容です

異国の地で炭田を発見 日本の地質学の人材を育てる

日本初の本格的な地質図「日本蝦夷地質要略之図」、日本で3番目に開通した「幌内鉄道」、5月10日に制定された「地質の日」、これら3つの源は、一人の地質鉱山技師でつながっている。明治の初期に、開拓使が北海道開拓のためにアメリカから招いたベンジャミン・スミス・ライマンだ。

ライマンはアメリカで生まれ、ヨーロッパの鉱山学校で学んだ後、地質学者の伯父の薦めで、開拓使の顧問を務めていたホーレス・ケプロンの下で鉱山技師として働きはじめる。当時、すでに石炭が採掘されていた北海道では、開拓使が有望な採掘地や石油などの資源を探し求めていて、ライマンは開拓使の依頼で、夕張山地の西側にある幌内地区(現・三笠市幌内)をはじめ、道内の地層調査を行う。

調査には開拓使仮学校から十数人ほどの生徒が助手として集められ、ライマンが彼らに数学や物理、測量、製図、地質学などを教えると、生徒たちはすぐに優れた働きを示してライマンを喜ばせた。入念な調査の結果、幌内の炭層は石炭の質が良く、埋蔵量も期待できることが分かり、これを機に開拓使は1879(明治12)年に幌内炭鉱を開鉱。3年後石炭を運ぶために北海道初、日本で3番目の鉄道も開通させた。

写真左:ライマンと弟子たち(『明治・大正期の北海道(写真編)』より転載)
写真中央:ライマンが出版した『日本蝦夷地質要略之図』(北海道大学付属図書館所蔵)
写真右:三笠市立博物館が誇るアンモナイトの展示風景 ※入館料等は要問い合わせ(TEL:01267・6・7545)

ライマンの調査をきっかけに石炭の一大生産地へ

ライマンが調査した幌内地区は、その後弟子たちの調査によってさらに広がりを見せ、幌内を含む空知地区一帯は、最盛期には110以上もの炭鉱が操業する日本の石炭の一大生産地となった。現在は閉山した炭鉱跡が当時の栄華をしのばせる貴重な史跡として、「北海道遺産」に登録されている。

ライマンは幌内以外にも1873〜75年にわたり北海道全体を調査し、1876年5月10日に「日本蝦夷地質要略之図」(1/200万)を発行。後にこの日が「地質の日」に定められた。開拓使での勤務を終えた後は内務省に移り、九州なども調査した後1881年に帰国。かつての教え子たちとの交流は生涯続き、彼らの尽力もあり、ライマンは「日本の地質学の恩人」として、開拓の歴史に名を留めている。

PROFILE

ベンジャミン・スミス・ライマン

ベンジャミン・スミス・ライマン(Benjamin Smith Lyman)和名は来曼1835(天保6)年、マサチューセッツ州ノーサンプトン生まれ。ハーバード大学卒業後、フランスとドイツの鉱山学校で学び、インドの油田なども調査。1872(明治5)年に開拓使の鉱山技師として日本へ向かう。来日してすぐに日本語を学び、84歳で亡くなった際には、2,000冊近くの日本語の蔵書があったという。茶道をたしなみ、菜食主義で生涯独身だった。

EPISODE

石灰層と共に見つかっていた三笠産のアンモナイト

北海道は"国内一"と評されるほどアンモナイトの産出量が多く、中でも幌内を含む三笠市一帯は、ライマンが調査した石炭層と共にアンモナイトが眠る約1億年前の白亜紀後期の地層が見られる"アンモナイトの聖地"。三笠市立博物館では、道産約600点を含む日本一のアンモナイト・コレクションをはじめ、エゾミカサリュウの化石などを展示している。

編集:(株)KADOKAWA 文:山平有紀 取材協力:三笠市立博物館
参考文献:『北海道を開拓したアメリカ人』(著:藤田文子 発行:新潮選書)、『地質ニュース653号』ほか

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2015年10月号 AIRDO機内誌「rapora」掲載
※情報は2015年9月1日時点の内容です

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