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函館に本物のソーセージの味を伝えた「胃袋の宣教師」『カール・ワイデル・レイモン』

2016年3月号 AIRDO機内誌「rapora」掲載
※情報は2016年2月1日時点の内容です

優れたソーセージ職人が、函館で生涯の伴侶と出会う

函館市民には、その味を口にすると、思い浮かぶ懐かしい人がいる。大きな手と小さな帽子がトレードマークの「カール・レイモンさん」。大好きな奥さんと2人で、函館に本物のソーセージの味を伝えてくれた、味の恩人だ。

レイモンが生まれたのは、チェコの都市、カルロヴィ・ヴァリ(当時の地名はカルルスバード)。旧ドイツ領などの時代を経て、現在は豊富な鉱泉を利用したリゾート地として知られている。父親が「マイスター(親方)」と呼ばれる優れたハムやソーセージ作りの4代目の職人だったレイモンは、自身も早くから父の友人の下で修業を始める。

後年、食肉に関する事なら畜産から加工、経営、機械や容器など、あらゆる技術や知識を身に付けていたレイモン。日本に来る以前は、当時のヨーロッパ最大の食肉会社やノルウェーの缶詰会社、その他フランスやスペインなど、さまざまな食文化に身を置き、その土地の食文化を吸収していった。

1914(大正3)年に第1次世界大戦で一時期出征を余儀なくされるが、この経験も生涯にわたり平和を尊ぶ強い基盤となった。そして19年、アメリカで食肉加工の修業の帰途に立ち寄った日本で仕事を依頼され、函館に滞在。勝田旅館の令嬢、勝田コウと出会う。

写真:1933(昭和8)年完成の大野町(現・北斗市)の工場。工場には動物園もあった

試練を乗り越え、本物の味と平和の大切さを伝える

当時、国際結婚は周囲の理解を得るのが難しく、22年、やむなく2人はレイモンの故郷へひそかに渡航する。

3年後に親族の許しを得て帰国。2人は函館にソーセージ店を開き、やがて帝国ホテルの料理長や高級食品店など、本物の味を知る人々が買い求めるようになる。1930(昭和5)年にはソーセージ作りの新工場を設立。3年後には家畜の飼育から食肉加工まで一貫生産できる大野工場も完成した。

その後、大野工場は38年に強制買収され、レイモンは10年間ソーセージ作りを禁じられるという辛い時期を経験するが、真摯(しんし)な人柄は変わらなかった。函館を「素晴らしい街」と愛し、生涯、本物の味を伝え続けた。今も函館元町のレイモンハウス元町店では、その伝統の味を味わうことができる。

写真左:函館土産として今も受け継がれているレイモンの味
写真右:2Fに歴史展示館のあるレイモンハウス元町店(所在地:函館市元町30-3)

PROFILE

カール・ワイデル・レイモン

1894(明治27)年、オーストリア・ハンガリー帝国のカルルスバード(現・チェコ共和国)で生まれる。ノルウェーの会社に在籍中、研修でアメリカへ。帰国途中に立ち寄った日本で勝田コウと出会い結婚、函館に移住する。子供好きで、大野町の工場にはミニ動物園も造った。1983年に引退して一時帰国するが、再び函館へ。西ドイツより功労勲章十字賞授与、サントリー文化財団地域文化優秀賞、勲五等双光旭日章受章。1987年函館で生涯を終えた。

EPISODE

シュバイツアー博士と交流し、自らを「胃袋の宣教師」と呼ぶ

生涯を異国で暮らしたレイモンには、書簡を交わすほど尊敬する医師がいた。アフリカの医療奉仕活動に生涯を尽くし、後にノーベル平和賞を受賞したアルベルト・シュバイツアーだ。レイモンは「博士は哲学者であり、宗教家であり、もちろん優れた医師でもありました。で、私の方は、食べること、胃袋の宣教師ですね(原文まま)」と、語っていたという。


編集:(株)KADOKAWA 文:山平有紀
参考文献:『カール・レイモンヒストリー:胃袋の宣教師』(発行:函館カール・レイモン)他

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2016年3月号 AIRDO機内誌「rapora」掲載
※情報は2016年2月1日時点の内容です

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