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西洋リンゴやホップの栽培を支えた、開拓使の園芸技師『ルイス・ベーマー』

2016年5月号 AIRDO機内誌「rapora」掲載
※情報は2016年4月1日時点の内容です

宮廷造園所で学んだ園芸師が開拓期の北海道へ

昔の札幌を知る人に、リンゴ畑の風景を懐かしむ人は少なくない。かつて札幌には、現在の平岸地区を中心に多くのリンゴ農家があった。今も豊平区には「旭町」などリンゴの品種にちなんだ地名が残っている。明治初期、民部省勧農局はアメリカから西洋リンゴの苗木を輸入して農家に無償で配り、北海道をはじめ国内で栽培を奨励した。しかし、計画通りには収穫できず、新たに栽培を託されたのがお雇い外国人、園芸技師のルイス・ベーマーだった。

ドイツで園芸を学んだベーマーは、1871(明治4)年に来日。それまでの日本式とは違う西洋の接ぎ木法でリンゴを栽培し、みごと収穫に成功する。これにより北海道では札幌を中心に西洋リンゴの栽培が盛んになり、その栽培法は東北地方へも伝えられた。

ベーマーはさらに開拓使が当時力を入れていたワインやビールの原料供給とも深く関わっている。特にホップは、ビールの醸造に欠かせない原料として周囲の期待が高まる中、アメリカやドイツから数種の苗木を輸入して開拓使構内の東側(現・札幌市中央区北2西3付近)などで栽培。収穫したホップを乾燥、梱包できる設備も調えて、「輸入品に劣らない」と評されるほどの高品質で、ビール造りを支えた。

写真:ベーマーが着色したといわれている開拓使本庁舎の図(『新撰北海道史』より転載)

札幌初の花ショウブの交配や、植物を愛でる庭園も

ベーマーは当時の北海道に日本の植木職人や庭師が知らない西洋の技術と、庭園を美術品のように愛でる喜びを伝えた。その源は生まれ故郷北ドイツにあり、この地方は伯爵家の宮廷造園所や大聖堂、養樹園などが多く、17歳から宮廷庭師の下で修業を始めたベーマーの感性に大きな影響を与えた。

1882年に開拓使での職を辞すまでの間に、ベーマーは迎賓館的な役割のあった「豊平館」(札幌市中央区)や「偕楽園」(現・札幌市中央区北7西7付近)に優雅な趣のある庭園も築いている。また札幌で初めて花ショウブの人工交配を行った上島(かみしま)正も、ベーマーの教えで成功し、上島自身も後に2haの園内にボタンやシャクナゲ、ショウブが咲き誇る庭園「東皐(とうこう)園」を造り、明治の街に華やぎを添えた。

写真:ベーマーは、当時としては珍しい洋風の庭園で建物に華やぎを添えたという(左は「偕楽園」の風景。建物は「清華亭」。右は「豊平館」。共に北海道大学附属図書館所蔵)

PROFILE

Louis・Boehmer(ルイス・ベーマー)

1843年ドイツ生まれ。宮廷の造園所などで技術を学び、1867年アメリカへ。知人の紹介で開拓使に雇用されて日本へ。当初は青山第二官園に勤務。北海道では約3カ月かけて函館、釧路、室蘭などを巡り植物を調査。標本を残す。また札幌初の温室や豊平館の庭園、さまざまな果樹園を造る。開拓使での職を辞した後は横浜で園芸の輸出入業を営み1894年に帰国。ドイツで療養中、53歳で亡くなる。

EPISODE

人々を驚かせた札幌初の温室 総ガラス張りで中には池も

1876(明治9)年に着任して間もなく、ベーマーは温室を作らせている。建物全体は総ガラス張りで、暖を取るためにレンガや軟石が使われた大きなかまどがあり、生徒が昼夜温度を管理した。池もあり、コイや金魚の姿も眺められた。翌年に一般公開されると大勢の観覧者が訪れ、冬も夏のような室温を保ち、植物が生い茂る温室に、初めて見る人々は目を白黒させたという。


編集:(株)KADOKAWA 文:山平有紀
参考文献:『あるお雇い外国人・園芸家の足跡』(著:中尾眞弓/横浜植物会年報19、20、22、24、26)他

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2016年5月号 AIRDO機内誌「rapora」掲載
※情報は2016年4月1日時点の内容です

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