cat_title_jinbutsuden.jpg

民族らしさを込めた作曲で、『ゴジラ』の音楽を生み出した作曲家『伊福部昭(いふくべ あきら)』

2016年6月号 AIRDO機内誌「rapora」掲載
※情報は2016年5月1日時点の内容です

民族音楽に強く惹かれた音更村での少年時代

北海道・帯広市の真上にある音更町には、映画『ゴジラ』の音楽で知られる作曲家、伊福部昭の資料室がある。海底から突如現れ、圧倒的な存在感を示す怪獣に、まとわりつくように響き渡る「ドシラ、ドシラ、ドシラソラシ」の旋律。この管弦楽が奏でる独特のリズムをはじめ、伊福部が生涯手掛けた数多くの音楽には、音更での少年時代に強く心を惹かれたアイヌの人々の音楽が根底にあった。

伊福部は、釧路町(現・釧路市)幣舞(ぬさまい)生まれ。父親が音更村(現在は町)の村長に就任したのを機に、兄たちと共に村に移り住んだ。当時、村にはアイヌの人々が住んでいて、伊福部少年はアイヌの人々と接し、人間性や風習を知るにつれて、「民族らしさ」「民族音楽」に対する畏敬の念が芽生えていく。

伊福部は音更で9歳から12歳ごろまで過ごした後に札幌へ移り、周囲の学生や音楽家の兄の影響で芸術に接するようになると、自ら絵画とバイオリンを習い始める。1932(昭和7)年に北海道帝国大学農学部林学実科に入学し、北海道交響楽団に入団すると、すぐに第一バイオリンの首席奏者に抜てき。作曲も独学で覚えるが、卒業後は厚岸(あっけし)町で地方林務官として働く。転機は、この林務官時代に訪れた。

写真左:音更町図書館(音更町木野西通15-7)にある伊福部昭音楽資料室
写真中:直筆原稿の音更町歌
写真右:音更町内の「音和の森」に立つ音楽記念碑。碑に刻まれた楽譜「シンフォニア・タプカーラ」の「タプカーラ」は、アイヌ語で「立って踊る」を意味する

クラシック界が驚いた 独学で誕生した伊福部交響曲

仕事の傍ら作曲した「日本狂詩曲」が、高名な作曲家、アレクサンドル・チェレプニンの「チェレプニン賞」を受賞すると、伊福部は一躍国内外で作曲家として名を馳せる。日本国内からは「クラシックらしくない」などの声もあったが、この賞こそが、伊福部が独学で身に付け、こだわり続けた民族らしさが評価された瞬間だった。

1954(昭和29)年、東宝が社運をかけた映画『ゴジラ』の音楽を引き受けた際、勉強家の伊福部は脚本を読み、ゴジラ誕生の背景や南方の民族の言語、音楽、歴史を調べて曲作りの土台としたという。昭和から平成にかけて伊福部以外にも多くの作曲家がゴジラの曲を手掛けてきたが、あの独特の旋律はその中でも異彩を放ち、今も多くの人がゴジラの記憶を呼び覚ます。

PROFILE

伊福部昭(いふくべあきら)

1914(大正3)年5月31日、北海道釧路町(現・釧路市)幣舞(ぬさまい)生まれ。独学で学んだ作曲で「チェレプニン賞」を受賞。1943(昭和18)年から戦時科学研究員として勤務するが、体調を崩し、札幌の自宅で療養後に上京、東京音楽学校(現・東京藝術大学)の講師として勤務。2006年に91歳で亡くなるまで300本以上の映画音楽を手掛け、2014年にはゴジラ生誕60周年、伊福部生誕100周年を記念した演奏会も開かれた。

EPISODE

予想以上だった『ゴジラ』 多くの演奏家に支えられる

生涯多くの名画に音楽を添えた伊福部昭。ゴジラの作曲は、当時多忙だった伊福部にとって仕事の一つにすぎなかったため、ゴジラと共にマスコミに取り上げられるのは予想外だったという。また、演奏する上では難解な点があり、多くの演奏家に支えられた。女優、黒柳徹子さんの父で、バイオリニストの故・黒柳守綱も『ゴジラ』の演奏に参加している。


編集:(株)KADOKAWA 文:山平有紀
肖像画像提供:音更町図書館 撮影:藤原 正
参考文献:『ゴジラの音楽〜伊福部昭、佐藤勝、宮内國郎、眞鍋理一郎の響きとその時代』(著:小林淳 出版:作品社)他

1606cover.jpg

2016年6月号 AIRDO機内誌「rapora」掲載
※情報は2016年5月1日時点の内容です

raporaはAIRDOが発行する機内誌です。
最新号はぜひ機内でお楽しみください。

TOPへ