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自由に本を読める喜びを広めた、日本点字図書館の創設者『本間一夫(ほんま かずお)』

2016年8月号 AIRDO機内誌「rapora」掲載
※情報は2016年7月1日時点の内容です

増毛(ましけ)での幼少期に視力を失い指で読む、点字と出合う

北海道の港町・増毛町で、"本間"といえば、一代で莫大な財を築いた、名酒「國稀(くにまれ)」の造り酒屋の創業者の本間泰蔵が有名だが、もう一人、大事業を成し遂げた"本間"がいる。泰蔵の孫で、日本点字図書館の創設者、本間一夫だ。一夫は富裕な本間家に生まれるが、1歳で母親が病死し、5歳の時には雪遊びの後に出した高熱が原因で、視力を失ってしまう。本間家は、東奔西走して名医に治療を請うが、視力を回復することはできず、一夫は1929(昭和4)年に函館盲唖(もうあ)院(現・函館盲学校)に入学する。ここで初めて点字を知った一夫は、目が見えなくても本が読める喜びに胸を躍らせる。

点字は、視覚障がい者のルイ・ブライユが、フランスの陸軍大尉が暗闇でも指で読める文字として使っていた点字を元に6点式点字を考案。1887(明治20)年に日本にも伝えられ、日本点字の創始者、石川倉次が1890年に、50音に翻訳したものが普及していた。しかし当時はまだ点字本は少なく、しん灸やマッサージの教本など、手に職をつけるための実用書が中心だった。一夫は、イギリス・ロンドンに17万冊もの蔵書の点字図書館があるのを知ると、まずは英語を身に付けようと、関西学院大学に入学する。

写真左:1940年に開設した「日本盲人図書館」の玄関に立つ本間一夫
写真中央:生家の「旧商家丸一本間家」。本間家は今も増毛で代々造り酒屋を営む
写真右:現在の「日本点字図書館」。点字本の出版や視覚障がい者の福祉の拠点にもなっている

視覚障がい者に読書の喜びを。日本盲人図書館を創立

一夫は、学校や視覚障がい者のための施設で、充実した日々を送る友人や恩師たちに出会い、点字図書館への思いを強くし、1940(昭和15)年、東京都豊島区雑司が谷の借家に「日本盲人図書館」の看板を掲げる。蔵書はわずか700冊だったが、それでも貸し出しを願う多くの手紙が届き、一夫は本を袋に詰め、仲間や家族の力を借りてリヤカーで郵便局に運び、送料を自費で負担して発送した。

やがてこの事業は多くの人々を動かし、国の補助も認められ、現在は点字図書7万7000冊、録音図書15万冊を備える「日本点字図書館」(東京都新宿区高田馬場)として、国内のみならず海外へも本を発送している。一夫の「本を読む喜び」は、世界の視覚障がい者をもつなぐ、一大事業となった。

PROFILE

本間一夫(ほんまかずお)

1915(大正4)年10月7日、北海道増毛郡増毛町生まれ。1歳で実母が病死し、実父が病を隠していたと言われ本間家から離縁、長男夫妻の養子となる。5歳の時に視力を失い、1929(昭和4)年に函館盲啞院に入学。関西学院大学卒業後「日本盲人図書館」を設立。1943年に藤林喜代子と結婚。戦時中は一時期増毛へ疎開したが再び上京し、「日本点字図書館」を新設。87歳で亡くなるまで、社会福祉活動に尽くし、多くの賞を授与された。

EPISODE

失明を乗り越えた一夫の思い ヘレン・ケラーにも会う

わずか5歳で、見える世界から暗闇へと人生が一変した一夫だが、後年「失明は無論不幸である。しかし、私の場合は失明したればこそ、この事業が与えられ、神の存在を知り、多くの愛と善意の人々に出会い、今日が迎えられたのだ(『我が人生「日本点字図書館」』より)」との思いを語っている。またかねて尊敬していたヘレン・ケラーにも、33歳で会うことができた。


編集:(株)KADOKAWA 文:山平有紀
肖像画像提供:日本点字図書館
参考文献:『指と耳で読む』(著:本間一夫 出版:岩波書店)、『我が人生「日本点字図書館」』(著:本間一夫 出版:日本図書センター)他

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2016年8月号 AIRDO機内誌「rapora」掲載
※情報は2016年7月1日時点の内容です

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