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北見に暮らした、"心の灯台"と語り継がれる宣教師夫妻『ピアソン夫妻(ジョージ・ペック・ピアソン、アイダ・ゲップ・ピアソン)』

2016年11月号 AIRDO機内誌「rapora」掲載
※情報は2016年10月1日時点の内容です

宣教師として北海道へ女子教育にも力を尽くす

穏やかな眼差しで、静かに相手の話に耳を傾けるジョージ・ペック・ピアソンと、正しいと思う事には真っ直ぐに突き進む妻のアイダ・ゲップ・ピアソン。2人は宣教師として訪れた日本で結婚し、札幌をはじめ旭川、北見などを拠点に道内各地で伝道活動を行うとともに、教育や廃娼運動にも取り組んだ。

1894(明治27)年ごろに北海道へ渡ったピアソン夫妻は、札幌農学校の人々とも親交を温める。新渡戸稲造と協力してサラ・C・スミスの北星女学校の体制整備に尽くし、夫人は農学校で有島武郎(たけお)らに語学も教えた。さらに伝道活動では滝川や美深(びふか)、名寄(なよろ)などの小さな教会や集会所へも足を運び、アイヌの人々のために生涯を捧げた英国聖公会のジョン・バチェラー宣教師や、ユーカラの伝承者でありクリスチャンの金成(きんなり)マツ、まだ幼い知里幸恵(『アイヌ神謡集』の著者)などと交流している。

1914(大正3)年に夫妻は、伝道の最後の拠点となる野付牛(のつけうし)村(現・北見市)に移り住む。夕日が美しく見える高台に立つ、木造2階建てのピアソン邸には、坂本龍馬の甥で、先にキリスト教の精神を胸に入植していた「北光社移民団」の坂本直寛らも訪れ、共に、貧困の中で救いを求める人々に温かい手を差し伸べた。

写真左:1910(明治43)年6月、伝道活動中の2人。現在の遠軽の瞰望(がんぼう)岩の下で
写真中央:第一回北海道遺産に認定されたピアソン記念館の内部(所在地:北見市幸町7-4-28)
写真右:ピアソン夫妻お気に入りの柏の木があり、「三柏の森」とも呼ばれた館

心の灯台として語り継がれるピアソン夫妻の思い

「NPO法人ピアソン会」の事務局長・伊藤悟さんは、夫妻を慕う人々と共に記念館を運営し、夫妻に関する資料を集めて会報を発行してきた。伊藤さんによるとピアソン氏は、「日本のお年寄りには人間としての威厳がある。だからこの人たちのためにできる事をしたい」と手紙につづっていたという。

「夫妻は、いわゆる宣教師とは少し違っていました。ピアソン邸ではお母さんたちを集めて、地元の牛乳でバターを作り、栄養豊かなクッキーを焼いたり、洋服の作り方を教えていました」。夫妻を知る人々は夫妻を"心の灯台"にたとえている。人生という航海で、難破や座礁をしないよう、遠くから見守っていてくれる温かな灯りのような存在だったと。夫妻が残した志は、今も北見の人々を優しく照らし続けている。

PROFILE

ピアソン夫妻(ジョージ・ペック・ピアソン、アイダ・ゲップ・ピアソン)

ジョージ・ペック・ピアソンは1861年アメリカ、ニュージャージー州で、アイダ・ゲップは、翌年ペンシルべニア州で生まれる。ピアソン氏はプリンストン神学校を卒業後、米国長老派教会の宣教師として、アイダは米国聖公会の宣教師として来日し、2人は日本で結婚。道内各地で伝道活動を行い、1914年に野付牛に移り住む。1928年に帰国。1937年にアイダが、その2年後ピアソン氏も亡くなった。

EPISODE

人々の思いに支えられた邸宅児童相談所を経て記念館に

1914(大正3)年にピアソン夫妻が野付牛村(現・北見市)に建てた邸宅は、1928(昭和3)年に夫妻がアメリカへ帰国した後、地元の教会の長老、唐笠学氏(故人)が存続のために私財で修理して自ら住み、1955年に北海道へ寄贈。その後、児童相談所を経て「ピアソン記念館」として市民の憩いの場になっている。設計は建築家として名高いウイリアム・メレル・ヴォーリズによる。


編集:(株)KADOKAWA 文:山平有紀
肖像画像提供:NPO法人ピアソン会
参考文献:『ピアソンブックレットNo.5写真集 ピアソン夫妻の足跡』(発行:NPO法人ピアソン会)他

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2016年11月号 AIRDO機内誌「rapora」掲載
※情報は2016年10月1日時点の内容です

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