cat_title_jinbutsuden.jpg

北の地に生き、夫と二人三脚で名作を生み続けた女性作家『三浦綾子(みうら あやこ)』

2016年12月号 AIRDO機内誌「rapora」掲載
※情報は2016年11月1日時点の内容です

病床で問い続けた生きることの意味

小説『氷点』は、作家としてまだ無名だった三浦綾子が、雑貨店を営む傍ら書きつづった約1000枚の原稿用紙から生まれた。舞台は北海道・旭川。愛娘を誘拐されて失い、犯人の子を養子として育てる夫婦の心の葛藤と、自らの生い立ちを知らされた子が抱える絶望、そして生きる意味への問い。賞金1000万円で注目を集めた朝日新聞社の懸賞小説に入選し、1964(昭和39)年から同紙に連載されたこの小説は、42歳でデビューした新人女性作家を世間に強烈に印象付けた。

デビュー後も『塩狩峠』など数々の名作を生み出すが、いずれの作品でも登場人物は生きる上での悩みや苦しみを抱えていた。その理由は、綾子自身の半生にあった。かつて小学校の教員をしていたが、教員7年目に敗戦を迎え、子どもたちに間違ったことを教えていたのではないかと罪悪感を抱き、退職。そしてまもなく、20代の若さで戦前は"不治の病"といわれた肺結核を患い、生きる意味を見いだせずにいた。そんな綾子を支えたのは、信仰心のあつい周囲の人々だった。生きることに無気力になっていた綾子と、生へ呼び戻そうとする人々との魂のぶつかり合いが彼女を少しずつ変え、30歳の時にキリスト教の洗礼を受ける。

写真:小説『塩狩峠』の舞台となった駅に立つ三浦綾子

夫、三浦光世と二人三脚で名作を世に送り続ける

やがて綾子は、クリスチャンであり、当時旭川営林署に勤めていた三浦光世と出会う。綾子は聖書の言葉をそのままなぞるように生きる、光世の穏やかな人柄に惹かれ、1959年に結婚。光世は結婚後、作家としてデビューした妻の創作活動を支えるために退職し、1966年に口述筆記を始める。

妻と夫の二人三脚で生み出された作品は70作を超え、映画やドラマ、漫画、電子書籍にもなり、年輪を重ねる樹木のように大きく成長していった。

1998年には『氷点』の舞台となった旭川市外国樹種見本林に「三浦綾子記念文学館」が完成。館内にある訪問者用のノートには、綾子の著書に感銘を受けた人々の自筆のメッセージが残されている。二人が育てた文学は、今も多くの人の心に手を差し伸べている。

写真左:夫の三浦光世と口述筆記をする書斎での風景
写真右:冬の三浦綾子記念文学館(旭川市神楽7条8丁目2-15)

PROFILE

三浦(旧姓:堀田)綾子(みうらあやこ)

1922(大正11)年北海道旭川市に生まれる。小さいころに妹を亡くしていて、『氷点』の主人公「陽子」は、妹の名前でもある。17歳で小学校の教員になるが退職。24歳ごろから肺結核を患い、闘病生活を送る。1959年にクリスチャンの三浦光世と結婚。1964年、朝日新聞の懸賞小説に『氷点』が入選し、その後多くの名作を生む。1998年に旭川市に三浦綾子記念文学館がオープン。翌年逝去。
肖像画像提供:三浦綾子記念文学館

EPISODE

作家・三浦綾子を支えた夫・光世の口述筆記

三浦綾子の夫・光世は、入退院を繰り返す綾子に生きる希望を与え、結婚後は、体調がすぐれない妻の執筆活動を支えるために営林署を辞め、綾子の言葉をノートに書き取っていく口述筆記役に専従する。1999年に綾子が亡くなった後は、講演活動で全国を回り、2002年からは三浦綾子記念文学館の館長を務めていたが、2014年10月に静かに息を引き取った。


編集:(株)KADOKAWA 文:山平有紀
肖像画像提供:三浦綾子記念文学館
参考文献:『道ありき この土の器をも 三浦綾子作品集 第十四巻』(著:三浦綾子 発行:朝日新聞社)

1612cover.jpg

2016年12月号 AIRDO機内誌「rapora」掲載
※情報は2016年11月1日時点の内容です

raporaはAIRDOが発行する機内誌です。
最新号はぜひ機内でお楽しみください。

TOPへ